幸せの演出家

 2020/7/29

 

最近、インスタを見るのが何だか億劫になってしまった

 

そもそも僕は、あまり人に興味がない人間である

 

「最近何してるの?」と話しかけることも多いが、内心はただの話題作り

 

数少ない友人のことは知りたいと思うが、それ以外は「どうしたら面白くできるかなー」と笑いに逃げることばかり考えている

 

 

そんな僕にでも回転寿司のように流れては消えていく近況報告を受け止める「心の余裕」くらいは持ち合わせていた

 

ところが最近は、そんな心の余裕があまりない

 

父親と就職先のことで揉めているからだろうか?

 

父は僕に、「幸せの価値観」を無理やり押し付ける

 

残業が少なく、毎週きっちり2日休めること

 

大型連休には友人と海外旅行に出かけること

 

郊外に庭付きの一軒家を建て、休日には公園で子供と遊んでやること

 

そしてこれは恐らく、多くの人にとって(勿論僕にとっても)幸せな人生だと言える

 

でもどうだろう、それと同時に何か別のものを失っているのではないか?

 

休みがしっかり取れる人間が、日曜の夜にサザエさんを見て憂鬱になること

 

家族という名の安住の地を手に入れることで、挑戦的に生きづらくなること

 

それなのに人は「この生き方が幸せだ!」と悪い面はなかったことにし、良い面だけを切り取って他者に押し付ける

 

ここに何かのヒントがある気がした

 

皆の知らない隠れ家的名店をたくさん知っていること

 

多くの友人に囲まれ、夏には河川敷でBBQをすること

 

誕生日には恋人と高層ホテルのビュッフェに行くこと

 

インスタという名の回転寿司では、誰一人としてマグロしか握ってくれない

 

そして中にはもっと巧妙に、鉄火巻にして出してくる奴もいる

 

ヒカリモノのような個性はあまり存在せず、そんな投稿はアーカイブへと葬り去られていく

 

マグロは確かに美味い

 

でもそれ以上に、「マグロは美味いだろ!」と言わんばかりの一方的で押しつけがましい演出家たちに、僕は違和感を抱いているのかもしれない